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プロフィール〜私の歴史〜

 私は、1982年兵庫県生まれの男性です。仮死状態で誕生し、脳性マヒのため身体機能障害を持っています。 知的障害はありません。身体障害者手帳記載の障害等級は1種1級で、重度障害者に分類されます。  私は先天性の機能障害を持つため、生後1年から病院にてリハビリテーションを始めました。

・スポーツに関する出来事

 私は幼い頃からスポーツ観戦をしていました。私の両親は、私の障害をネガティブには捉えておらず、 私に健常児と同じくらいの色々な経験をさせたいと考えていたため、幼い頃から行事やお祭りに積極 的に参加したり、色々な場所にでかけていました。そのひとつにスポーツ観戦がありました。

・ボッチャとの出会い

 養護学校高等部入学後に通いだしたスポーツセンターで、養護学校の先輩に紹介されボッチャに出会いました。 指導員や母親達がスポーツセンターにボッチャクラブを作り、週一回練習を行うようになりました。 ボッチャはヨーロッパで誕生した競技で、92年バルセロナ大会からはパラリンピックの正式種目です。 脳性マヒなど厳しい運動障害の為にボールが持てない人、投げられない人は、補助具の使用、アシスタントの 出場が認められています。 競技は障害の程度によってクラス分けされますが、私は最も重いクラスの日本代表選手でした。 2001年のアジア・オセアニア大会で国際大会出場の機会を得て、初めての大会にもかかわらず3位の成績 を収めました。 2002年のジャパンカップでは初めて優勝しました。「やるからには一番じゃないと気が済まない」という気持ちの おかげで、この大会以降優勝を繰り返しました。 ボッチャを始めた動機は楽しくて実力が発揮できるから、そして試合の緊張感と自分が活躍できるからです。 ボッチャを続け大会に出場し国内外の様々な場所に行くことが出来ました。さらに、成績を残してきたため、それを 紹介するメディアとも関わることがありました。 ボッチャを始めて自己主張が強くなり、何ごとにも自信を持って行動するようになりました。 世界各地・日本各地など色々な場所で合宿や試合を経験しましたが、体調が悪くてもその場所や環境に対応する ことが出来ました。 飛行機の中では食事が出来ないこともありましたが、食事をせずにそのまま試合に臨んでも平気でした。

・ボッチャ引退 きっかけ…

 ボッチャでテレビに出たり注目されることにより、芸能活動に興味を持つ。ボッチャでは納得のいく結果を出したので悔いはなかった。他のことに挑戦しようと思い立つ。前々から、学生のときに見た『キャッツ』というミュージカルや『ラブストーリーは突然に』というドラマで芝居は素晴らしいと思っていたので、芸能活動をしようと決意した。

・移動サービスの仕事に就いた経緯

 学校の先生に仕事のことについて話し合ったとき就職口は無いといわれた。 しかし、クラスメイトは自分より障害が軽かったので就職できた。そのときに自分の障害の重さを痛感した。 その後、自ら就職口を探したが受からなかった。 就職相談所で探すが条件が合うところが無く 働きたいという意思があったので自分で作業所を探して働くことにした。 だが作業所の仕事だけでは物足りなさを感じていたので、 先輩からの勧めで移動サービスの仕事を紹介して貰った。

・現在

 自分に出来る仕事を探しながらも、各福祉系のイベントにボランティアで参加して、横のつながりを持ち 自分を知ってもらうように努力している。また、将来的には俳優業に就きたく、その活動として劇団見学 などをしている。
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